親子代々利用してくださるお客様に囲まれて

レストラン「宮村」の36年間、そして宮村 駿一のこれから…

 何故僕が大牟田のこの地に店を開く事になったのか。

 アメリカから帰った僕に声をかけてくれたのは父でした。父は宮崎観光ホテルをやめた後、三井グリーンランド内ホテル「ブランカ」の副支配人としてこの地に来ていたのです。その時はちょうど三井グリーンランド開業1年目くらいの時でした。「5人欲しい」父からそう言われた僕はさっそく5人の若い仲間を連れて「ブランカ」にやって来たのでした。そして10年という約束で「ブランカ」に入社したのです。僕はそこで自分の腕を存分にふるって働きました。三井グリーンランドは当時大牟田市内に「山の上ガーデン株式会社」というゴルフ練習場も運営しておりましたがこれが赤字転落。再生に苦慮していたところ、今うちでお出ししているジンギスカンを取り入れたレストラン部門のリニューアルが功を奏し、見事復活したというような経緯がありました。そのご褒美の意味もあったんでしょう、僕は35歳のときに取締役支配人という役職を頂きました。しかし僕はその後2年程でこの仕事を辞めました。自分の中ではやっぱり10年で区切りをつけたかったのです。また、会社勤めは自分の性に合わないということに気づいたのでした。そこからがレストラン「宮村」の始まりです。36年間この大牟田の町並を見てきました。飲食業界の変遷もつぶさに見てきました。今は僕を影で支えてくれていた優しい奥さんも他界し1人で経営しています。農業三昧でどっちが本業かわからないぐらいになってる僕のやり方はほかから見たらちょっと我が儘な経営かもしれません。しかしこれまでの年月ひたすら自分の腕を信じて頑張ってきたことが、親子代々で利用してくださるお客様の信頼を得たのだと誇りを持っています。そして、まだまだおいしい料理で皆さんを喜ばせたい、本当の料理を伝えていきたいと食にまつわるいろんな事に挑戦しています。

【肥薩線はやて】

趣味の葦ペン画ギャラリー
 
inserted by FC2 system