アメリカのお話

 アメリカ暮らしは7ヶ月くらいの間だったんですがいろんなエピソードがあって語り尽くせないほどです。まぁ何かの折に興が乗ったら思い出話をする事もあるでしょうから、全部お話しするのはその時のためにとっておいて(笑)、ここでは僕を家族のように暖かく迎え交流を深めてくれたオランダ人ファミリーとの思い出、それから当時のゼネラルエレクトリック社の副社長夫人マリーさんとの交流を少しお話しましょう。アメリカっていいなぁ…とその時の僕は心の底からアメリカ暮らしを謳歌しましたよ。日本では当時大会社の重役クラスの人の給料が3〜5万円程でしたが、私たちは14万8千円という破格の待遇を受けていました。その上、衣食住は完備されスーツや靴まで支給されていたものですから、お金は一銭もかからなかったんです。おかげで相当遊びましたね。オランダ人の一家は住んでいたアパートの近所で肉屋さんを開いていました。あるとき僕が鶏肉を買いに行ったんです。1羽丸ごと出されるもんだから、「切ってくれ」と頼むと大きなナタのようなものを持ってきていきなりぶつ切りを始めたんですよ。大雑把ったらありゃしない、こっちもその乱暴さにびっくりして「ちょっと待て、貸せ」と中に入って包丁できれいにさばいてみせたんです。そうしたら、向こうもビックリですよ。「お前は何者だ」って事になって(笑)、「うちに来い」ってなって「おまえは特別だから」とアポなし訪問が許可されるまでになりました。毎週金曜日にはパーティを開く風習があったんですけど、良く招かれて僕の腕前を披露する格好の場所ともなったのです。

【山口県立高等学校記念館】

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