ジンギスカンと父

 僕の店の名物料理にジンギスカンがあります。

 さっぱりとしたたれにセロリをたっぷりと入れて食べるとてもさわやかな焼き肉です。「夏になると宮村のジンギスカンが食べたくなる…」と行って下さるお客様も結構いらっしゃいます。

 このジンギスカン料理ですが、これは僕の父親が満鉄のホテルに勤務していた時、内モンゴル出身の友人であり同僚であった方とモンゴルに出向き覚えて来た料理です。モンゴル式の焼き肉は羊肉の固まりを柳の枝に刺して岩塩をかけて火にあぶって食べるという勇壮な食べ方であると聞いています。またたれで食べる場合は各家庭によって味付けが異なるものです。父が教わったたれは結構塩辛いものだったので少し薄くアレンジして日本人に愛される現在の味を作りました。以来約80年間、この秘伝のたれを作り続けています。

 このジンギスカンという名前を日本で初めて命名したのが、僕の父親であり生涯料理人であり続けた宮村静雄という人です。ジンギスカンと聞くと、北海道から発祥したちょっとこってりとしたたれのジンギスカンを連想される方も多いとおもいますが、僕のジンギスカンはそれとは全く違うものですし、最も早くモンゴル直伝の料理として日本にもたらされたものなのです。当時兵隊さんの外套を作る為に北海道で羊を大量に飼ったのですが、毛を刈り取ったあとの肉を利用しようとして始まったと聞いています。ちなみに鍋の形がちょうど兜のような形をしていますが、あれは戦場で羊肉を焼いた名残りと言われています。

 このジンギスカンには忘れられないエピソードがあります。

 平成17年4月22日の読売新聞に、モンゴル出身で日本在住の方から「民族の英雄チンギス・ハーンを料理の名前に使わないで…」という投書が届けられたのです。父は既に亡くなっておりましたので、私の姉である川鍋幸江が父の思い出とともにジンギスカンという名前に込めた父の熱い思いを紙面で返答したのです。

 以下、原文をそのまま掲載致します。























大草原・英雄思い父が命名

自営業 川鍋幸江(68)福岡市博多区

 4月22日の「LOOKにっぽん」の「『ジンギスカン』料理名を変えて」を読み、9年前、87歳で亡くなった父のことを思い出しました。この料理の名付け親と聞いていたからです。

 父は宮村静雄と言い、博多帝国ホテルなどの料理長を務めました。私たち親子4人が旧満州(現・中国東北部)の大連にいた1936年2月ごろのこと。現地の大和ホテルの料理長・支配人だった父はモンゴル人の友とモンゴルまで出向き、生の羊肉に岩塩をかけて鉄板で焼く独特の料理を身につけて帰宅しました。

 試行錯誤の末、日本人好みの味に工夫し、自分なりのソース(たれ)も作りました。フランス、イタリア料理には人名、地名が多く使われておりモンゴルの英雄、チンギス・ハーンにちなんだ命名には、大草原で大勢で焼き肉を食べる豪快な食事風景を思い浮かべ、英雄への尊敬の念とモンゴルの人々への親しみを込めたと聞いています。

 父はまじめな性格だっただけに、料理の普及を通じ、英雄の名を広く知らせたかったのでは、と思います。その点、投稿者が心配されたような、いい加減な気持ちで命名したのではないと信じます。モンゴル仕込みの父の「ジンギスカン」は、福岡県大牟田市の駅近くで店を開く弟が自分なりに改良したスープとともに受け継いでいます。

 

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